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2019.08.31 散文
※今年の3月の記事です。
書きながらもどうにも公開する気が無くてそのままにしておりました。やっと。

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全力で出し切った日々が終えてバッタリと倒れておりました。最近復活。

父が他界しました。昔はビートたけしみたいでしたが、丸くなったかなと思いきや
トンがってたままだったり、中々の人物でした。浅草の人。
いつもバトルしてるような感じがあってすごく仲がいいという感じの親子ではなかった
けれど、思った以上に応えました。踊ることも常に反対していたけれど、フランスに移動した
時にはフランスの大家さんによろしく御願いしますとこっそり手紙を送っていたり。。
(大家さんに見せてもらって知ったのでした)

祖母や祖父が亡くなった時は肉体と魂が分かれた感じがあって、”ああ、今おばあちゃんは
ここに居ないんだ”と感じたのをよく覚えています。

父の時もそうかと思っていたんですが肉体と魂が全然分かれていなくてまだ生きているよう
でどんどん冷たくなっていく体が信じられず思わずさすって温めて見たりして。

その後の怒涛の事務手続きが有無を言わさずやってきたのも応えましたが母は気丈に
こなしていました。

例えば亡くなった体が腐敗してきて乾燥して土になって、、という時間があれば自然と
腑に落ちるのだろうけど、展開が早すぎてついて行けず、火葬の時には怒りすら湧いてきて
骨の確認の時には卒倒しそうでしたけども、、、

そういったあえてのシステムも落ちすぎないためには必要なのかもしれないと思えてきました。

その時期に作品を制作するという事がとても支えになっていました。前に前に進むという
エネルギーで何とか保てたなあ。一つ自分の支えになるものを持っているのはこんなにも
いざという時に自分を助けてくれるんだと実感しました。

あんなに私が踊りを選んだ事に反対していた父でしたが彼は夢追い人です。
父の机から出てきた父自身への言葉の様なものが出てきました。
今それをPCのデスクトップでいつでも見れる様にしています。

こうなってみてどんなに桂子がフランスで耐えていたかと思うと(フランスにいる間にお父様
が倒れられたので)胸が痛い。

祖父が亡くなった時にベッドの脇で一心不乱に筆を走らせていた叔父、祖父のデスマスク
として油絵で残していた。その絵はまるで祖父がインディアンのようで何か風を感じる
とても良い絵だったことを覚えている。

父が亡くなった時(といっても皆死に目には会えなかったのだけど)思わず写真を撮った。

その後で祖父の絵のことを思い出し、どうしても叔父に描いて貰いたくて連絡をした。
叔父は今スペインで画家をしている。
ちょうど振り付け料が入った事もあり、お願いした。
叔父にしてみれば安すぎたとは思うけれど、快く引き受けてくれた。

今父は自由になったと、そして私と父はすごく不器用な形ではあったけれど愛があったんだ
と今更ながら。

Haruhito ota

永遠なんてない。生き様という言葉を父はよく使っていた。
ならうんと我がままで、やりたい事どんどん挑戦して生きたい。とこれも今更ながら。