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2008.04.29
cuba,martinique
のダンスプロジェクトに約5週間参加してパリに戻ってきました。
cubaでは8:30からバレエクラス、休憩してリハ、遅い日で18:00まで動きつつ、シャワー浴びてぐったりと、そしてむくっと起きて夕食。。の日々でした。
街のあちこちにチェ ゲバラが。革命は国民にとって誇りであるという意識がひしひし伝わってきます。

只何となく息苦しい印象を受けました。国を誇りに思っている反面、言葉には出さないけど国から出て行きたいという(特に若者)感じで、また有り余るエネルギーをどこにぶつけて良いかわからないといった感じでした。これはどこもそうだと思うけど。
なかなか行く事もないだろう場所なので、とても良い体験が出来ました。cubaについて色々感じたり、見たりすることもできたし。
パーティキュラーハウスといって、現地の民宿のようなところに泊まりました。
さりげなく部屋にお花生けてくれたりして、優しい。

凄く暑い!34度ありました。なので昼は余り歩き回れません。日陰を選んで。

cubaのダンサーの家に招待され、夕食を食べました。日本のお赤飯?に似ているご飯(もち米でなくて普通のお米)美味しかった。マーボーナスモドキをTVのレシピでみて、作ってくれたんだそうで、コレも美味でした。

cubaチームは政府から劇場を支給されています。羨ましい。。ここはコレからどんどん奇麗に改装されていくのだそうです。

凄く暑いので水分補給、ビタミン補給。屋台でオレンジを売っていて、それをかじりながら歩くアジア人二人。

ビシタクシー(ビシクレッタ タクシー)という、人力車の自転車バージョン。

毎日稽古なので、ほぼ毎日洗濯して、干して。フランスと違い、日本みたいに外に干せるので気持ち良かった。それにしても洗剤を買うのに1時間ほど並びました。物が少なくて、無くなったら終了。私の次の人で洗剤終わってた。それと外国人のペソとcuba人のペソの単位が違うことや、インターネットが違法であるという事、映画などもかなり古いものばかりが流れていまして、日本といえば”おしん”。。。いまだにあのような文化なのかと質問されました。勿論真実を述べましたが。。
少しずつこの国を感じ始めていました。
屋上の花。フルーツも、花もとても色鮮やかです。

社会主義国なので政府経営のレストラン。ここよく行きました。映画の団体と繫がってるそうで面白いつくり。椅子は全て監督の名前がついてます。世界のクロサワ発見。

振りが上がり、オフ日に皆でバスを借り切って海に行きました。久しぶりに皮が向けるくらい焼けてしまった。。
ラムと音楽と海の一日でした。風が気持ちよく、海岸近くの家でグッスリ昼寝。

帰りのバスには皮をはがれたラムの肉体がゴロン。その下にはまだ生きているラムが。。
凄いワイルドです。。
ハバナに移動。古いアメリカ車が沢山走っていて、まるで映画のシーンのようでした。アルカポネ時代の豪華な建物やスペイン統治時代の建造物など、その当時はかなり豪華な町だったのだろうと予想される感じでした。革命後にお金持ち達はマイアミ等に移動し、空いてしまった建物は無法地帯になってしまったため、保存状態が悪くなってましたが。
ハバナのアートマーケット。ちいさい植物の種などを器用に繋いでアクセサリーなど作っていて感心。

ついにビエンナーレ開催地martiniqueに到着。湿気があり、日本人にはなじみやすい気候と思う。
伸びをしながらお腹を冷たいコンクリートにあてがって涼む猫。

詩人であり黒人解放運動家でもあるセザール氏(彼について私は何も知らなかったのですが)が亡くなり、街は喪に服しているようでした。劇場のスケジュールもその為にずれ込んだようでした。

劇場。

本番に向けてラストスパート。大変な事もありましたが舞台は成功したようでお客さんが喜んでくれたのが何より嬉しかった。今回出合った人なども見に着てくれました。
そしてこういう機会を与えられた事に感謝です。良い経験になりました。
カリブの海で泳ぎ、少しだけ夏を満喫しました。

ダンスもそうだけど、人権やら革命やらに触れる機会があり、パリに帰ってから中国のチベット弾圧と
長野での聖火リレーの様子など見るにつけ深く考えさせられました。
私に出来る事ってなんだろう?
みんなが幸せに生きていけますように!!

ランキング参加中let's click★応援宜しくお願いいたします。




cubaでは8:30からバレエクラス、休憩してリハ、遅い日で18:00まで動きつつ、シャワー浴びてぐったりと、そしてむくっと起きて夕食。。の日々でした。
街のあちこちにチェ ゲバラが。革命は国民にとって誇りであるという意識がひしひし伝わってきます。

只何となく息苦しい印象を受けました。国を誇りに思っている反面、言葉には出さないけど国から出て行きたいという(特に若者)感じで、また有り余るエネルギーをどこにぶつけて良いかわからないといった感じでした。これはどこもそうだと思うけど。
なかなか行く事もないだろう場所なので、とても良い体験が出来ました。cubaについて色々感じたり、見たりすることもできたし。
パーティキュラーハウスといって、現地の民宿のようなところに泊まりました。
さりげなく部屋にお花生けてくれたりして、優しい。

凄く暑い!34度ありました。なので昼は余り歩き回れません。日陰を選んで。

cubaのダンサーの家に招待され、夕食を食べました。日本のお赤飯?に似ているご飯(もち米でなくて普通のお米)美味しかった。マーボーナスモドキをTVのレシピでみて、作ってくれたんだそうで、コレも美味でした。

cubaチームは政府から劇場を支給されています。羨ましい。。ここはコレからどんどん奇麗に改装されていくのだそうです。

凄く暑いので水分補給、ビタミン補給。屋台でオレンジを売っていて、それをかじりながら歩くアジア人二人。

ビシタクシー(ビシクレッタ タクシー)という、人力車の自転車バージョン。

毎日稽古なので、ほぼ毎日洗濯して、干して。フランスと違い、日本みたいに外に干せるので気持ち良かった。それにしても洗剤を買うのに1時間ほど並びました。物が少なくて、無くなったら終了。私の次の人で洗剤終わってた。それと外国人のペソとcuba人のペソの単位が違うことや、インターネットが違法であるという事、映画などもかなり古いものばかりが流れていまして、日本といえば”おしん”。。。いまだにあのような文化なのかと質問されました。勿論真実を述べましたが。。
少しずつこの国を感じ始めていました。
屋上の花。フルーツも、花もとても色鮮やかです。

社会主義国なので政府経営のレストラン。ここよく行きました。映画の団体と繫がってるそうで面白いつくり。椅子は全て監督の名前がついてます。世界のクロサワ発見。

振りが上がり、オフ日に皆でバスを借り切って海に行きました。久しぶりに皮が向けるくらい焼けてしまった。。
ラムと音楽と海の一日でした。風が気持ちよく、海岸近くの家でグッスリ昼寝。

帰りのバスには皮をはがれたラムの肉体がゴロン。その下にはまだ生きているラムが。。
凄いワイルドです。。
ハバナに移動。古いアメリカ車が沢山走っていて、まるで映画のシーンのようでした。アルカポネ時代の豪華な建物やスペイン統治時代の建造物など、その当時はかなり豪華な町だったのだろうと予想される感じでした。革命後にお金持ち達はマイアミ等に移動し、空いてしまった建物は無法地帯になってしまったため、保存状態が悪くなってましたが。
ハバナのアートマーケット。ちいさい植物の種などを器用に繋いでアクセサリーなど作っていて感心。

ついにビエンナーレ開催地martiniqueに到着。湿気があり、日本人にはなじみやすい気候と思う。
伸びをしながらお腹を冷たいコンクリートにあてがって涼む猫。

詩人であり黒人解放運動家でもあるセザール氏(彼について私は何も知らなかったのですが)が亡くなり、街は喪に服しているようでした。劇場のスケジュールもその為にずれ込んだようでした。

劇場。

本番に向けてラストスパート。大変な事もありましたが舞台は成功したようでお客さんが喜んでくれたのが何より嬉しかった。今回出合った人なども見に着てくれました。
そしてこういう機会を与えられた事に感謝です。良い経験になりました。
カリブの海で泳ぎ、少しだけ夏を満喫しました。

ダンスもそうだけど、人権やら革命やらに触れる機会があり、パリに帰ってから中国のチベット弾圧と
長野での聖火リレーの様子など見るにつけ深く考えさせられました。
私に出来る事ってなんだろう?
みんなが幸せに生きていけますように!!

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